20201019

戦闘妖精雪風アンブロークンアロー、を久しぶりに読んだ。この上なくややこしくて、難解な話だから、めちゃめちゃ好きだったのに話の筋をよく覚えていないという状態だったのだけど、改めて、こんな話だったんだな。前に読んだときは大学三年のときだったか。その前は一年か二年のときだったような。戦闘機の話だけれど、もうほとんど戦闘機の話ではなくなっていて、哲学とか、そういう話になってる。敵がそもそも、哲学みたいな奴らなんだから仕方ない。ジャムっていう敵なんだが、ずっと倒し方も正体すらも、分からなかったのだけれど、今作でやっとジャムは、生物ではなくてもって概念的な何かなんだろうっていうところに行き着く。神のように概念みたいな何か。だから、「神を殺すようにジャムを殺せ」っていう話になるのですが、このセリフ、カッコよすぎる。神林長平の文章が難解なのに読めてしまうのは、このキャッチャーさというか、カッコよさにあると思う。

神林長平は僕らが持っている意識の作用についてとことん考える人だ。哲学の分野では、人間に完全無欠な自由意思なんてないってことになっていて、すべては無意識下で決定されていることになってる。意識は無意識の後追いに過ぎない。でも、「私」という主体は確かここに存在している。それは一体何のためなのか。みたいなことに対するアンサー的な何かを求めていたのがこのアンブロークンアローだったな。とりあえず「you have control」ってことだったんだけど。その探求の感じは文体にも表れていて、無意識下で起きた事象が意識に言語として上ってくる、というようなプロセスそのものを文体にしているように感じられる。かなり意識的にそうしている気がする。しかも、その意識に上がってきた言語があまりにも的確でクリアに、無意識下の事象を説明している。的確過ぎるといってもいい。ニュアンスを伝えるとかいう領域ではなく、論理的に「こうだ!」って説明できてしまっている。その明快さが面白くて、どのページのどの文章を読んでも面白い。おもしろすぎる。

 

ある日の日記を、そのつぎの日に書いたりすることがありますが、日記なんて別にその日に書かなくていい、ということを森見登美彦が言っていたからそれを都合よく受け取って実践しているのです。日記なんて後から書いたっていい、書かなくたっていい。だから日記です。