20201202

↓メモ。本当にこうするのかは分からないけれどとりあえず、今考えていることを言語化していくことにしました。

僕の今の活動の中心はnoteで、1年くらい続けてきて、それなりに交流とかも増えた。それはすごく大きな出来事だったし、たくさんの影響を受けて、この1年間で僕は大きく変わったのだと思う。だから、もうそろそろnoteに頼らないようにしたいな。記事を読みたい人がたくさんいるから、辞めるとかじゃないけど、活動拠点を別のところに移したくなってきた。

言葉を選ばずに言うなら、僕にとってのnoteは、僕と同じような人間が他にも存在するということを確認するためのツールだった。他人の記事を読んでいるとき、僕はきっとその言葉の中に自分の存在を投影しながら、読んでいたし、書くときは共感を得られそうな部分だけを書いていたような気がする。それで安心を得ていた。タイムライン状に並ぶということは、時系列があるため同時性を持ち、コミュニケーションとしての側面を生むと僕は書いたことがあるけれど、同時に、他人との距離を消滅させるという側面があったような気がします。もともと、文章は自分と同じだ、と思い込みやすい性質があるわけだけれど、SNSはその部分ばかりを強化しているような気がする。僕はきっと他人との距離を設定できていなかった。

noteに文章を書こうとするとどうしても人の最大公約数を気にしてしまう。汎化するというか、一般論みたいなものに普遍化させなくちゃいけないような気がしてしまう。誰の目につくか分からないから、そうならざるを得ないし、だから、身内ネタみたいなものは絶対ムリ。こっちに日記書き始めてから思ったのだけれど、なんだか窮屈な感じがする。今書きたい文章は共感されたい文章ではなかった。これは、好き勝手書きたい、みたいなことを言っているのではなくて、適切な距離を保ちながら文章を書きたいだけです。僕のことは僕のことだし、あなたのことはあなたのことだと、言いたいだけだ。

そのために、もっと閉じた環境で文章を書きたい。閉じた、ということがどういうことなのか、僕は分かっていないので、これがメモスケッチなのだし、実現するかもわからないわけですが、閉じた環境。それはサロンやnoteのサークルのように、誰か一人の言葉にみんなが共感してついて来る形式ではなく、もっと距離感のある何か。発信者、受信者という区分はいらず、誰もが同等に発信して、受信して、でもSNSみたいな広がりはいらないというような。