20210122

体から思想が抜け落ちて、穴だらのれんこんみたいになっていた。ぼんやりと半開きの目のままスーパーでお惣菜を買い、米を炊いて食べる。無感動です。なにもしてないです。空洞です、って感じですね。ゆらゆらしてます。

youtu.be

空っぽの頭で「監視資本主義:デジタル社会がもたらす光と影」というドキュメンタリーをネトフリで観ていたのだけれど、何せ空っぽなので、まあ、そうだよなあ、って感想しかなかった。SNS というシステムのお客さんは広告主であり、ユーザはどちらかと言えば商品なんだ。いかに的確に広告を滑り込ませられるか、いかにSNSへの滞在時間を上げるか、みたいなことしか企業は考えてないからよくない、麻薬みたいなもんだSNSは。操作されている、人生を台無しにされている。というような内容が反復されて出されるのだけれど、僕は少し首を傾げてた。見たい情報だけを見るから左右の対立が激しくなるとか、よく分かるような気もする一方で、アメリカみたいなデモなんかを目の当たりにしているわけではないから、何とも言い難いことではあるのだけれど、なんだろう、こういうある種一方向から、批判するみたいな明暗のキッパリした態度表明がそもそも左右対立的だなあ、とそういうことを思った。

言葉の違いというか、言葉遣いの違いもすごく感じたところがあって、西洋の人は(こういう括り方はあまり好きではないけれど)やっぱり日本の人とくらべると、主張を大げさにするところがあるような気がします。物事ひとつ例えるのに、そういう比喩使うのかすごいな、と思う。思い出したのが、村上春樹で、あの比喩の想像力の根本は西洋文学にあると言われると納得するのだけれど、村上春樹はものごとを抽象的なものを抽象的なまま的確に表現するために比喩を用いるけれど、少なくともこの動画で用いられていたものは、明暗をハッキリさせる意図が見えた。なんというか、文化圏の違いなのかなあ。文法の違いかもしれないし、多神教一神教の違いなのかもしれない。でも、そういうのではあんまり括りたくもないよなほんとは。僕が勝手に分かりやすい解釈の尺度を作って、分かって気になっているだけで、ほんとうは何もわかってはいない。僕がこのドキュメンタリーに対して、なんとなく鵜呑みにできないなと思ったことの理由を考えたいだけでした。