20210514

ある時人間関係がめんどくさくなって、もういいやって思うことがたびたびあるの。何にも縛られたくないな、幽体離脱とかしてさ、遠くに逃げ出してしまいたい。でも、戻ってくる場所は必要だから、この肉体はここでちゃんと綺麗なまま眠っていてね。そんな、どこにも振り切れない弱さだけがあった。LINEの返信がめんどくさくて、未読無視したまま二日位経ってしまったときは、急に自分に呆れる。人を突き放すこともできないし、だからと言って積極的に関わろうとすることもできない。そんなことしてたら、いつか自分の元から誰もいなくなってしまうかもしれないとか考える。僕は結局、寂しがり屋で、誰かがいないと生きていけないのかもしれない。

自由にしていたい、不自由にはなりたくない、だから僕は他の人を不自由にさせるのが嫌いで、そのためなら、自分が不自由のままでもいいなんて思うこともある。他人に迷惑を一つもかけないようにしようとがんばりました。いろんなことを自分の中で飲み込んで、話さないままでいればいいのだからよかった。人のためとかじゃない自分勝手なエゴから来ることでしかないから聖人とかじゃないよ。補足。

でもね、相手を自由にさせたいと思って自分の中の感情を飲み込んでいくことが、結果的には相手に迷惑をかけてしまったりするものだと、最近知りました。良くわかんないよね。そういうのね。昨日書いたことだって、生きることは死ぬこと、みたいなことだった。相反する概念を噛み砕いていくと中身が同じだったりするのだろうか。好きの反対は無関心みたいなことだろうか。不自由は、意外と自由だったりするのだろうか。でも、そういうのを知ると意外と楽になるものだったと思った。

20210513

カタシロを観た。TRPGの舞台版?で、主人公には脚本が与えられておらず、周囲の変化する状況に応じて、即興でロールプレイングする。

youtu.be

僕らが物語に英雄的な犠牲を求める理由を「人間が死の恐怖に打ち勝つという可能性を、人類が種として担保しておきたいから」と言った。すべての動物の中で、人だけが死という概念を知っていて、それに怯えていた。物語を生きたときだけ、僕らはある種の必然性によって死をそこにあるものとして受け入れることが可能になる。僕らが物語るのは、死ぬためだった。物語ることで、他人の中に宿りたい、と思っていたけれど、そんなものはきっと手段に過ぎなくて、ずっと死ぬための理由を探していた。僕の書いた言葉はぜんぶ遺書みたいなものだったよ。しぬこととみつけたり、が今年の目標だと書いたけれど、あれに似た何かでした。

と、そんなことだけじゃなくて、カタシロがほんとにすごく面白いよ。2日目くらいから、もう面白くないところがない。何だろう、演技どころじゃないんだよな。ドラマを演じることが、別人になりきることなのだとしたら、この舞台上にあるのはもう一つの可能性であって、役と、演者が半々で存在している。その絶妙な生々しさと、そこに他の演者が引き寄せられていくリアルタイム感。そのシーンが、脚本によってではなくその場で発生していることが分かるからこそ、そのシーンはまるで初めから決まっていたようにも見えてしまう逆説。もうね、最高です。

20210512

取材·執筆·推敲という本の中身が何だかもの足りないなあ、と思いながら読んでいたわけだけれど、「ほんとうに言いたいことことなど、なにもない」という文章を読んだ途端に、突然目が開いた。ライターは自分で主張したいものなんかないから、取材という行為を通じてしか伝えたいことを見つけられない。これほどフィットする言葉はないと思った。

僕は書くことが好きだ、でも、何を書いたらいいのか分からなくて困ってた。多くの人にとって、書くことは手段であって目的ではなかった。書くことを手段として用いている間だけ、僕たちは書き続けることがでるのだと思う。これは、この前読んだ「生き残る作家、生き残れない作家」で読んだことでもある。僕は今たぶん生き残ってない。そんなときだから、これはすごく参考になるかも知れないなと思った。僕はライターになりたい。自分以外のことについて発信する職業があると知れたこの瞬間が、何か大きな転換点になるんじゃないかと思います。

20210510

自分の文章の下手さを思い知って苦しい。誰かに指摘されたわけではなく、読み返していて思ったことです。論理的な展開能力がてんでない。僕は今までフィーリングで文章を考えてきて、それでなんとかうまくやってきたつもりだったけれど、論理が抜けていたらいい文章になるわけなかったね。どれだけ感性に訴えているからと言ったところで、適切な順序で提示されなければ、支離滅裂なだけだ。言語化できないものに関してだって、なんらかの抽象的なレベルでは論理立っていることが大概です。感性と同じくらい、論理を使っていかなければならないのかもしれず、右脳と同じくらい働いてください左脳、って感じ。僕は決して天才ではないから、考えながら少しずつ感性を広げていくことしかできないので、がんばります。

20210508

人新世の「資本論」を読んでいた。特に新書読む機会とか少ないけれど、本屋行ったら必ず平積みしてあったのが頭のすみっこの方に残っていた。

地球温暖化の原因には資本主義が深く関わっていて、どうやって僕たちは資本主義から脱却して行けばいいのか、というような内容だった。コモンという考え方がとても印象に残った。市場でもなく、国有化するでもなく、みんなで共有する公共財をコモンというのだという。すごく雑な要約だけれど。

ここに書いてあったことが正しいとか正しくないとか、そういうことは分からないので、何も言えないけれど、語り口は好きじゃなかった。「SDGsは大衆アヘンである!」みたいな部分で、一方的に何かを否定して自論を成立させる語り口が持っている不信感はどうしてもある。自他の思想を区別して実施される社会変革はどうしても革命になるし、革命には血が伴うものでした。よくない。