20210514

ある時人間関係がめんどくさくなって、もういいやって思うことがたびたびあるの。何にも縛られたくないな、幽体離脱とかしてさ、遠くに逃げ出してしまいたい。でも、戻ってくる場所は必要だから、この肉体はここでちゃんと綺麗なまま眠っていてね。そんな、どこにも振り切れない弱さだけがあった。LINEの返信がめんどくさくて、未読無視したまま二日位経ってしまったときは、急に自分に呆れる。人を突き放すこともできないし、だからと言って積極的に関わろうとすることもできない。そんなことしてたら、いつか自分の元から誰もいなくなってしまうかもしれないとか考える。僕は結局、寂しがり屋で、誰かがいないと生きていけないのかもしれない。

自由にしていたい、不自由にはなりたくない、だから僕は他の人を不自由にさせるのが嫌いで、そのためなら、自分が不自由のままでもいいなんて思うこともある。他人に迷惑を一つもかけないようにしようとがんばりました。いろんなことを自分の中で飲み込んで、話さないままでいればいいのだからよかった。人のためとかじゃない自分勝手なエゴから来ることでしかないから聖人とかじゃないよ。補足。

でもね、相手を自由にさせたいと思って自分の中の感情を飲み込んでいくことが、結果的には相手に迷惑をかけてしまったりするものだと、最近知りました。良くわかんないよね。そういうのね。昨日書いたことだって、生きることは死ぬこと、みたいなことだった。相反する概念を噛み砕いていくと中身が同じだったりするのだろうか。好きの反対は無関心みたいなことだろうか。不自由は、意外と自由だったりするのだろうか。でも、そういうのを知ると意外と楽になるものだったと思った。