20210329

普通に元気なので、書かなくちゃいけないのとか色々書かなくちゃいけなかったし、書き書き。

朝井リョウ「正欲」を読んでいるのだけれど、この人は時代を描く人になったんなだなと思った。「死にがいを求めて生きているの」も平成の総括みたいな話だったし。でも、この透明な感覚は何なのだろうと思う。この主人公たちは一体誰なのだろう。誰でもが抱えている悩みみたいなものを背負っていて(誰にも分かってもらえない性癖を持っている、もここに含まれる)、その実誰でもないというような感覚がある。この透明感がどこか好きなんだよな。

朝井リョウの文体には、人の生々しいところを分析的に見ているような眼差しがいつもあって、「何者」の主人公の設定はどこか朝井リョウのパーソナリティを反映していたのだと思う。だからあれは僕には、ある種の自己批判みたいに見えた。みんなを批判的にしか見れていない自分自身に対する自己批判。穿ちすぎかな?