20210823

note書きました、久しぶり。

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室生犀星の「遠きにありて思ふもの」というあの有名な一節は室生犀星の故郷の金沢で書かれたものらしい。都説と故郷説二つあって、論争があったとかなかったとか聞く。でも、別に僕としてはどっちで書かれたものであってもいいと思う。都で故郷にいるときの気持ちに気づくこともあるし、逆もある。どっちで書いたからどっちということもない気がします。ただ、少なくともあの詩の視点は明らかに故郷側からだと思ってる。

室生犀星の境遇を重ね合わせて、故郷に対する憎しみがー、みたいな話をネットで見かけたのだけど、僕はそういう風には読めません。人間失格エヴァみたいに作者を全面に押し出してるなら、そういう読みもしますけど、この詩はどちらかというと個人的な体験に紐付きつつも、その個人的な体験を無化してる気がする。それはたぶんこの詩の中で具体的な事象が一切説明されないから。「異土の乞食に」みたいなのも出てくるけど、これも例に過ぎなくて、全体としてぼんやりとしたイメージでこっちに迫ってくるので、もっとぼんやりとしたものとして読みたい。

僕が読むとどうしても、この詩は故郷のことを書いているというよりも、故郷があるけど前に進まないと、ということを書いている風に見えてしまう。それは自分に帰る場所がなかったという事実と裏表なんだけれど、「ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ 涙ぐむ そのこころもて」と言っているから、あくまでも前向きに捉えようとしているだと思ってる。涙ぐむことを承知でなんて言っているのはたいてい調子のいいときだ。調子の悪い時は、涙ぐむどころか死ぬことを想定するか、もっと別の故郷を探したくなるものです。だから「遠きみやこに かへらばや」と言っているあの瞬間にあったのは、故郷を捨てる思い出はなくて、「俺が前に進むんだ」っていう覚悟に見える。だから、これは僕にとっては覚悟の詩なんだ。