20210822

sonny boy 6話のネタバレあります

 

 

思えば、いくつもの選択肢の中から今を選んで生きてきた。だから、たまに後から後悔して、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったと、クヨクヨ悩んで泣いたりする弱い生き物でした。もしも、あの時入部する部活が違ったのなら、あの時入る大学を変えていたのなら、どんな未来になっていただろう。そういう可能性の全てをなかったことにして、僕たちは不可能性の中にいるのだと言って、全面的に今の自分を好きでいられるように。そんな建設的な祈りの中で生きている。

だけど、選ばなかった選択肢は本当にそこになかったものだったんだろうか。sonny boy の6話を見ながらそんなことを考えていた。中学や高校のあの時期、何者にもなっていなかったが故に、きっと何者にでもなれると思い込んでしまった季節、もしくは抑圧されているが故に思い描いた、ここではないどこかを純粋に信じることができてしまった季節。あのとき空想みたいな夢や希望を、捻り出さなければいけないくらい必死だったこと、なかったことになんかしたくないよ。今とは全く違う自分の姿が、あの日の別の可能性の箱の中にあって、今もそこで元気に生きていると思いたかったね。

勝手な解釈だけれど sonny boy の漂流という現象は、あったかも知れない可能性のことなんだと思える。そっち側に主人公が置かれるアニメなんて、そんなの初めて見ました。普通、可能性は自分から分離させていくもので、そういう物語はありふれているのに。6話で、漂流した長良たちが現実に戻ろうとしたのに、そこには全く違う自分の姿があって、希は死んでしまっていて、そんなの悲しいよ、本当に。漂流した後の長良の方が絶対に幸せそうな顔をしてたし、希も生きていて、どうにか戻って欲しい。でもそれは、決定的に分岐してしまった世界だから無理なんだろうな。漂流側がもしも残酷な現実を受け入れていくことしかできないなら、本当にしんどい。あいつらはあいつらのまま元気に暮らしていてくれ。僕たちのことなんて一切受け入れる必要なんてないよ、ただ、あのとき信じてた青いまんまの姿で、今の僕たちが信じられないものを信じておいておくれ。

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