20200929

PCで日記を書いていたけれど、最近動作がめっきり遅くなってしまったので、起動するのもめんどくさいし、こっちで書いていこうかなと思った次第です。

本当は公開する必要性すらないのだけれど、なんとなく公開しておきたいなというような心境なので、はてなブログに手を出してみる。

↑このなんとなくっていうのがいけない。こうやって霧みたいにぼやかして書こうとするのは悪い癖なので、直したい。言葉にしていかないといけないよ、何でも言葉にすればいいわけじゃもちろんないけど、それをぼやかすというのはやはり逃げの戦術で、今この感情に肉薄できるくらいに言葉を紡いでいくことの方が大事なのではないかなと思います。なので、ちゃんと書く。

いつも僕は note の記事を書いている。以前は感情を主体とする文章を書いていたのだけれど、最近は行動を主体とする文章に変化している。行動することは、他人の存在を意識し始めたということだ。考えるだけなら、自分一人でだってできることだから。ちゃんと人に届けようと思ったときに初めて、自分自信の存在を「何を考えているか」ではなくて、「何をしているか」で規定する必要が出てくる。動くしかないのです。誰からどんな誤解をされようと、構わない。自分のことなんてどうでもいいから。最近はもっぱら、コミュニケーションばかりに興味がある。伝えるとか、伝わるとかじゃなくて、どうやって信頼して、信頼されるんだろ、みたいな話。そういった、行動する主体となっていくと、ゆくゆくは他人のためになる文章とか書けなくなっていくんじゃないかなと思うんです。文章自体が必要なくなっていくもの。話すことができるなら、体で何かを示せるなら、僕は文章なんてものを選択する必要がなかったので。誰かのために何かするなら、話してちゃんと伝えたいので。いつか、意味のあることを書けなくなるのかもしれない。だから、誰の為にもならない文章を書いて置いておきたいと思った。誰に読まれたいとかではないです。でも、興味をもった人には読まれたいし、そのくらいの距離感がいいです。ここにあるのはたぶん、記事の内容よりも、僕という存在を楽しめないと読めたものではない文章たち。どうでもいいことばかりを書く。仲のいい人たちや、これから仲良くなっていくだろう人たちが、アクセスしようと思えば簡単にアクセスできるところに、誰のためでもない、毒にも薬にもならない文章を置いておく。そういう場所を作ることで、僕の文章は続いていく。これからどんな風になっても、言葉だけは書いていくという意思表示。そのために、この日記を使っていく。

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今日は在宅勤務だから、朝は時間たっぷりに過ごしてた。六時に起きて、七時二十分くらいまで、布団の中で意識と無意識の狭間をぷかぷかと振動する。そこから貯まってたゴミを捨てて、お茶漬けを作って食べる、朝ごはん。今日の仕事はちゃんと時間内に終わりそうなので、すごく余裕。

ガリガリ君リッチちんすこう味を食べた。ガリガリ君リッチは変な味ばっかり出すくせにたいてい美味しい。到底アイスにはならなそうなものをアイスにする傾向があって、メロンパン味とか、玉子焼き味とか、水分が明らかになさそうな味のガリガリ君を見つけたら、ガリガリ君リッチだと思ってもらっていい。中に粒々のクッキーが入っていて食間があるので、確かに水分なさそうなその食べ心地を再現しているし、意外とアイスにこのクッキー食感と風味は合うなあ、ってなる。ハーゲンの新作も買ったけど、それは明日にお預け。