20201003

映画館に行ってTENETを観てきたんだけど、その直後に開いたnoteで、フォロワーさんが記事の中に僕のこと書いててそれが嬉しすぎて映画のことはまったく覚えてない。帰り道、お散歩した。

 

(以下、映画「TENET」のネタバレを含みます。)

時間の逆行演出ということで、映像の逆再生としてそれを表現してるっぽい。確かに映像表現を拡張してるのかも知れんですが、雰囲気的には古い映画の感じ残ってて、これは遊びなんだよな。映画で遊んでる。クリストファー·ノーランって、中身よりもアイデアと表現の方に関心があるのだろうし、そういうことなんだろうな。でも、未来人が逆行を仕組んだ、逆行せざるを得なかったって、どういうことなんだろうね。なぜ未来にあるのが人類の破滅で、それを逆行によって解決したいのか。遊びで作ったにしろ、映像という媒体において、それを逆再生するような演出をしたら、映像に対する批評性を帯びてしまうような気がする。そのことに自覚的だったのかそうでないかはさておき。メタ的な捉え方になりますが、「破滅」って、映像の世紀の破滅だったんじゃないかな。そう考えたときピンくるものがありました。世界中の誰もが、情報を発信可能な世界で映像がクラシックなものに置き換わっていく、そのとき、映像は何か新しいものを提出できるのか。それが、逆行(逆再生)だった。逆再生という、映画的で、なおかつ(ここまで大規模なものは)誰もやったことのない。たった、ワンアイデアで、それに頼るしかなかった。表面的な演出ばかりがアップデートされ、思想的な面では何も変わらないまま、過去が良かったね、過去にいきたいよね、っていう。帰ってこい、映像の世紀、みたいな感覚。(そもそも映像という一方向性のメディアは体制から国民へ、っていう、インターネット以前の情報の在り方にフィットしていて、だからこの映画の中には体制的なものと、陰謀ばかりがあったのでは? あー、だからスパイ映画なんだ。冷戦後に機能しなくなった、スパイという枠組み)悲観的だよなあ。まあ、勝手な拡大解釈なんですけど。これはほんと遊びの映画なんで、表現が最先端すぎて何やってるか咄嗟に分からんかったりもしますが、楽しいエンタメなんで。楽しかったよ。というか、こんなアイデア思い付いても普通撮れんし、そういった狂気じみたこだわりが、好き。