20201023

ユーモア最強説。というものを提唱したい。なんだか、すごいことに気づいていてしまったような気がするぞ。何においてユーモアが最強なのかというと、人間関係の初期段階段階においてです。その人と仲良くなろうと思ったら、ユーモアを発揮した方が円滑に仲良くなれるということだ。もちろん、ユーモアがあった方がそりゃ円滑な意志疎通ができるでしょ、ってみんな思うかと思うのですが、それはそうだけど、でもやり方分からんし意識しない、みたいな状態なのではないかしら? というか、ユーモアってなんだ、と考えていくとよく分からない。僕は今までの人生でユーモアというものを分かってなかった。ボケと違うんですか? って状態だった。それでずっとボケ続けて生きてきた気がしますが、ここに来て気づきました、ボケとは違います。変顔をしてみたり、何か突拍子もないことを言ってみたり、極端なことを言うと、そういうのがボケなわけですが(ボケと言っても一概には言いきれないところがあるので、ここでのボケはギャグのような形である種の過剰性を笑いに変えようとする態度のこととする)、ボケるとき、他人から変な人とか、面白い人って思われたりはしても、「この人と仲良くなりたい」みたいな感情からは遠いままだ。きっとあんまり変化しない。ボケるとき、それはきっと、究極的に言ってしまえば対面しているその人を必要としない態度で、結局、短くてちょっと笑える自分語りをしている状態に近くなる。あくまでも自分のこと、自分のことで楽しませようとしてる。夏目漱石的に言うなら自分本意ということ。僕は「変なやつ」って見られるから、困ったときはボケに頼ってしまうことが多かったのだけれどそれは、自分本意だったのだな、なるほど。ユーモアというのは、もっと違う。

(時間を置いてしまって同じテンションで書けないので略)

 

ユーモアって相手と一緒に楽しんでいきたいよ、っていう、意思表示のことだったんだな。