20201127

まず感情ありきで、そのために理由をくっつけて語っているように見えてしまう瞬間はたくさんあって、特に子どもの頃に大人が怒る瞬間はそういう風に見えてしまうことがたくさんだ。本人が怒っているから怒ってるはずなのに、それに対してルールを破ったからだとかなんだとか、理由を付けて正当であろうとする、そういうのが本当にみっともなく見えたから、僕はしっかりと正当に、言葉によって語ることのできるものごとだけを語ろうと決めた、あの時期。もともと本人の中に用意された感情や結論を導くためだけに用いられる言葉なんて汚い。フェアじゃないと思う。ちゃんと、順序立てて言葉を並べることで、感情にたどり着かなくちゃいけないと思ってた。でも、今日は、それで何が悪いのだと気づいた日。感情の発露が汚いことのはずないだろ。理由があるから怒ったり泣いたりするのではないよ、怒ったり泣いたりしたから理由があるんだよ。

僕は人をあんまり苦手だと思う機会は少なかったのだけれど、最近、仲良くしたいのに仲良くできないなあって思っている人がいて、もしかしたら僕は苦手だと思いそうな人たちを避けてきただけなのかもしれなかった。というよりもちゃんと向き合ってこなかったのかもしれなかった。でも、否応なくコミュニケーションをとらなくちゃいけない会社という環境だとやっぱりそういうのは全部表出してしまう。別に嫌いなわけじゃないけど、なんだか、仲良くなれなくて、相手はすごく感情でものごとを考えがちなタイプだから意図しない言葉に怒ってしまうこともあって、どうすりゃええんかね? と、思っていた。で、気づいたのは、僕はわりと言葉というものを軽視しているところがあって、思ってないことばかりを話して笑っていたりする、そういう態度が、感情を先に出すタイプの相手からは、文脈的に理解不能で、反応に困ったり、ときには怒りとか悲しみとして出てくるのかもしれないことで。だから、ちゃんと僕は僕として、自分自身の言葉を、自分自身の感情で話してみたらよいのかもしれない。