20201109

よく分かんないけれど絵を書いていたら夜の11時くらいになっていた。久しぶりに絵を描いてみたら、こんなにもへたっぴいだったのかとガッカリして、もっともっと描きたくなって、ただひたすらに描いて、今ではもう、何を描いていたのかすら忘れてしまった。チェーンソーマンの模写とかしていたような。久々にのめり込むというような状態になったのだけれど、後悔するくらい何も考えていなかった時間というのは、あまり好きではない。子どもの頃はこれこそが楽しさだ、と思っていたような気がするけれど、実際のところそんなのではなくて、ただ何も考えないだけだったな。描くなら描くでもっと、ちゃんと描きたいんだ、集中してさ。ただのめり込むのと集中は違う。集中するときって、やるべきことだけではなくて、今の自分の状態にもちゃんと思考が回っているときで、そのときほど、何をやっても何にでもなるみたいになるし、それこそがゾーンみたいな感覚なんだと思ってます。

そういえば僕が人の絵を描くときは、上瞼の線は描いて、下瞼は描かないようにすることが多いのだけれど、チェーンソーマンはこれでもかってくらい下瞼に線があって、下瞼に線があるほど感情量みたいなのが多く表現できているような感じする。情報量が圧倒的に上がっていて、もっと曖昧な領域の表現ができるようになってる。色気みたいなもの。なるほど、僕の中では目って上瞼だけのものだったけれど、そうではなくて、下瞼ってけっこう大事だったんだな。

もしかするとこれは私生活にも応用可能だろうか。自分で目を開けているときにぜんぜん意識してないけれど、下瞼に情報量持たせた方が色気とか出せるのかもしれない。まったく足りていない色気を求めて、下瞼。