20201113

社会に出て思ったのは、意外と自分の話をしたい人ばっかりだということで、たぶん僕もその一人なんだろうけれど、でも「あ、自分の話してる」って言われるのが怖いから、黙っている。黙って、うんうん、と頷いていることが多い。それで、今まで何とも思ってなかった。頷いているだけで、話進んでいくんだから便利ー、くらいに思っていてさ、でも、最近、この話をするのは僕でなくてもいいのだと感じてしまったときに、何だか覚めてしまったような感覚に襲われた。人の話をリラックスして聴けるようになってきたのか、相手の表情とか読み取れるようになってきて、その目は僕の方を向いていなくて、表情が固くなったりしていてさ、こっちのことはどうでもいいのかもな、と、そういう風に思ってしまう。そのときは、かなりこっちも体力を使う。気を使ったり、どういう風に相づちをうったらいいのか分からなくなる。でも、だいたい僕も口を開けばそんな感じになるわけで、まるで写し鏡を見ているみたいな感覚。心当たりがありまくる。それで、あー、僕も態度を改めよう、みたいに考えている。たぶん、そんなこと考えているから、僕も相手のことを大事にしようなんて一切考えていなくて、自分でいっぱいになっているだけかもしれなくて、もう少し大人になりたいな。リアルタイムで人に気を使える情報処理能力をくれ。

昨日読んでた「かくかくしかじか」を読み返していて思うのは、東村アキコという人間の観察力の凄さで。例えば、僕が人間を描こうとしたときに出てくるのは、その人の思想とかで、この人はこういう考え方をしている、というのがその人らしさだと定義してしまいがちなのですが、東村アキコのはもっとミクロな視点というか、行動とかその人のディテールまで見つめる視線を持っているから、モブみたいなキャラにだって、圧倒的な存在感を付与できてしまう。それってすごく、優しいことだよな、と思った。まあ、そうだよな、なに考えてるかじゃなくて、何をしてるかだよな。