20210702

全裸監督のネタバレあります。

 

やっと一息つけるよ。先週くらいからずっと忙しかった。でも、上司とかこれ以上に忙しい日が毎日続いてるのだと思うとすごいよね。ぼくがやったら健康を損なう。

緊張の糸が切れたので、午前3時くらいまで全裸監督2を観てた。めっちゃ面白かったな。シーズン1での謎が溶けていくような感触があっていろいろ納得してた。シーズン1のとき、ぼくは途中から村西とおるという人間のことが分からなくなってしまっていた。奥さんの浮気現場を見た、そこから彼が性に目覚めて、ビニ本とかAVを撮影するようになるのはなんとなく理解できた。奥さんにあったように、人間が内に秘めた野生性に対して復讐したかったのだろうし、それまで抑圧していた自分を解放したかったのだと思う。でも、シーズン1の途中から本能の解放を謳う彼自身の行動が、まったく本能などではなく、ある種の仮面であるような気がしてた。始まりは黒木香と「SMっぽいの好き」を撮影したあの瞬間、セールストーク風な語り口をAVに持ち込んでしまったあの瞬間だと思う。「人間の本能の解放」、というアイコンになってしまっていて、アイコンというからにはそれは決して本能的などではなく理性的だった。あれから、村西とおる黒木香もなぜあの独特の話し口調でしか話さないのか分からなかった。彼らが人間をやめていっているような気がしてた。だからこそシーズン2の1話にあったベッドシーンで、普通の人として話せている彼らをみたときにすごい安心した。でも、そこからす二人はれ違っていくし、みんなバラバラになっていくし。それで、一人になっても衛星放送にこだわって、皆のためにやってるんだ、と言いながらそんなの70%くらいは嘘っぱちで、結局破滅に向かっていく。どうしてお金を稼ぐこと、事業を拡大させていくことにこだわるのか。何がそうせていたのか。明らかに初期の衝動ではなくなってしまっていて、ただ空洞がずっとあるように思えた。でも、借金まみれになったとき、「俺がどれだけ粉骨砕身会社のためにやってるか誰もわかってない」「誰かに分かってもらうためにやってるの?」という、あのやり取りがあったとき、初めて分かったよ。何がかはわからないけど、分かったんだ。時代のアイコンとしてしか存在できなくなってしまった人間の、非人間性ゆえの寂しさみたいなもの。皆に分かってもらうために、さらに人間をやめていかなくちゃいけなくなる袋小路みたいなもの。たぶんそういうものだったよね。そして本能として存在していた性がいつのまにか、消費されるものになってしまっていた。

村西とおるの空洞はどこかモンキー・D・ルフィに似ていると思ってたけど、ルフィの方は明らかに分かってほしいとかじゃなかったよな、と思った。じゃあ、ワンピースってどんな最終回になるのかな? と思った。ワンピース、ろくに読んだことないけど。全裸監督はちゃんと性とか金とか食が生活として機能する世界だったから、破産して、もう一回立ち直すあの終わりが用意できたけれど、ワンピースという、性も金も食もキャラクターの属性として昇華させてしまったあの世界において、どこに着地するのだろう。全裸監督に似てるのだと梨泰院クラスとかも成り上がりとして連想したけれど、梨泰院クラスにはお金を稼ぐことに対する憧れと信頼みたいなものを感じる。愛の不時着とかもそうだったんだけれど、韓国っていう国の雰囲気なのかしら。どこか、日本のバブル期の作品にすごく似ている。でも日本ではそういうの、どんどん信じられなくなっていったから、全裸監督みたいに破滅するしかなくなっていった気もします。

そういえば全裸監督で破産するとき、最後の決定打になるのは部下だったコムがお金を盗んだからだったけど、それが優しいよねって思った。ここの優しさは、製作陣の優しさです、別にコムが優しいとか言う話ではなく。単純に事実としてあったからなのかもしれないけど、ぼくが脚本家だったらきっと、窃盗なんてイベントは用意しなかった。それは、村西とおるの今まですべての業がこの破滅を招いたのだと演出したいからです。胸糞悪い演出になること承知で、ジワジワと摩耗させていく選択をすると思う。たぶんそれは、物語の方向性としては間違ってないのだけど、あの前向きなエンドはなかったと思う。少なくともあの尺では。なので優しいと思った。それに、窃盗にしたことでより現実感が逆に増した気もするな。現実にはそんなに完璧な絶望も、幸福もないです。

あと森田望智! あの変成意識なんなの! 役に完全に入り込んでしまっているから演技がリアル過ぎて、逆に演技だと分かってしまうという。でもそれ自体も演出として働いて、完全に黒木香という役にハマってるんです。最高です。