20201119

コロナの第3波が来て嫌だなあ。東京都の感染者が500人を越えたということなので、第2波を越えてきた。外出しにくくなりましたね。ぶっコロナ。

コロナは生活の中に侵入してくるタイプの災害だから、みたいな話を前にnoteの有料記事で書いた気がするけれど、今でもその認識は変わってない。日常とか非日常がなくなっている。近所で集団感染とかしているとニュースで流れたとき、なんだか神様に指差されているみたいな感覚になった。一人一人指差されている。ランダムで、突拍子もなく、ある日突然に。これっていうのは、なんというか、非物語だ。僕だって感染することがあるわけで、それはある日突然何の前触れもないわけで、そんな想像をするとゾッとする。後遺症とか、味覚とか嗅覚とかなくなったら嫌なので、ほんとやめてほしいと思う。外出だってしたいし、外出しないことでなくなっていく何か、たくさんあると思う。僕は未来のことなんて何も分からないけれど、ある程度想像している範囲がある。例えば、衣食住に困らないこと、健康でいること。これらはもはや前提としてあるから、崩れることはないように思えるし。そういう風に当たり前に信じている価値観が、当たり前じゃなかったこと。そんな風に当たり前に続くものを基盤にした上で描こうと思っていた僕の物語は、その基盤から崩れていくのだということ。そういうのを見せられている気がする。僕にとってコロナは、非物語としてあって、それに少しでも対抗していくことが、ここから先何年かのテーマなんだろうな。いくら非物語がはびこっても、僕は物語らずには生きられないから、こうして、言葉を使っている。

これ、ちゃんとまとめればnoteにあげれるのに、そうしないで、こうして日記として書いてしまうから、最近ネタ切れになってるのかなあ。気づいたぞ。

そういえば、最近のジャンプのトレンドは、夢とかじゃなくて、夢を描くことすらかなわないような非物語的な世の中で機能する物語を探すことにあるような気がします。鬼滅の刃とチェーンソーマンのことをいってます。あと、呪術廻戦もアニメしか見てないけど、最初の方で「尊厳のある死」とか言ってたから、同じような方向性な気がする。はい、それだけです。

自分が一般論を書こうとしている、書いていることを一般論のように論じようとしている。そのことに気づいて、またやってしまったか、という感じ。もっと主観で話すべきだ。コロナが嫌なのは、怖いからなんかじゃないよ、ほんとうは。非物語なんて気にしてないよ。生活の邪魔になるから嫌なだけだ。それが一番だろ。地元に帰りたいし、大学時代の友達にだって会いに行きたいし、それでも行けない、その選択肢が狭められているような窮屈な感じが嫌なだけだろ。嫌なものは嫌、それだけの感情になれ! というか、もう慣れすぎて怖くはないかもな。気にしてない。自分がなったら怖いけど、コロナを否定する気なんて自分にはさらさらないんだってこと。ちゃんと思い出してちょうだい!