20210403

Netflixを眺めていたら、「峰不二子という女」というアニメが目に止まって、ダラダラと三話くらい見てしまった。峰不二子ってこんな人間だったんだな。というかルパン三世ってこんな話だったんだな。僕はルパン三世に関して、カリオストロと、コナンVSルパンくらいの記憶しかったから、全く分かっていなかったよ。何故物を盗むのか、何故色仕掛けなのか。今まで泥棒だから泥棒する、みたいなトートロジー的な理解でしか見れてなかったけれど、本当はそうじゃなかったんだな。ルパン三世の登場人物たちって、根本的に誰のことも信用してないんだ。自分のことなんて誰にも理解されないって初めから分かっている。だから他人に何も期待していない。というよりも、期待してはいけないと思っている。そんな孤独をずっと抱えているから、彼らは自分の中に閉じ込められていて、平坦だった。僕にはルパン三世や、峰不二子は、自分の中に入り込んできてくれる外部を求めて盗むことをしているように見える。盗む、という行為をしてしまう自分の裏側にある本当の感情みたいな物を理解されたいみたいな気持ちがある気がする。お金持ちになるとか、美しくあるということもそうで、そうやってきらびやかに着飾ることで、裏側にある本心を強調している。こう書くと子供のようなんだけれど、子供ではないんだよな、どこか。諦観があるからかなあ。誰にも心を許さないから、峰不二子は積極的に性を活用するけれど、その実誰にも消費されない。そんな風に見える。でも逆に、誰かに愛されても、信用されても、着飾っている自分を信用してくる奴なんて信じられないので、ますます孤独になっていく。だから、彼らは「信用しない」ということでしか繋がれない。「あんたなんかぜんぜん信用してないから!」という連帯感。それで繋がった関係が、あの四人なのかもしれなかった。

↑今日、文章のキレがめっちゃ悪い。なんだこれ。