20201010

ハイボールを飲みながら、大学の後輩と電話した。あっちは、最近就活が終わったみたいで、いろいろあったけどまあハッピーらしい。よかったよかった。僕が最近、コミュニケーションのことをたくさん考えていると言うと、彼女は「また、変なこと考えてる!」と呆れたように言った。ごめんなさい、と思った。でも、結局はそういう話になった。

話しているうちに、後輩が自分のエピソードを語ってくれて、「みんなに自分の素を知ってもらわなくてもいいんだって思いました」と言われて、なんとなく気が楽になった。僕はずっと、一貫した人格を出すことで、素でいけないのかな、そうじゃなきゃ他人に対してフェアじゃないのかな、と思ってたけれど、そんなこともないのかもな。仕事をするとき、部屋にいるとき、文章を書くとき、いろんな場面でいろんな自分を使い分けざるを得なく、仕事をしているとき他人に、部屋の中にいるときの自分知ってもらう必要なんてなかったな確かに。そのときそのときに応じてキャラクターを設定していくしかなく、ということは、キャラが必要だった。キャラ。キャラという言葉は本来、登場人物やその人そのものを指し示すものではなく、記号的な一面のことだった。二面性どころか、何面性もあって、そういう何面性もあるのが自分だった。

まあ、そういうことをいろいろ話した。で、その後、いろいろくだらない話とかして、「そろそろ寝るか」って言って寝た。