20210603

ぼくは読点を頻繁に使ってしまう。noteを読み返していると思うし、仕事中に今日指摘されました。別に悪いことだとは思ってないけれど、業務のテキストが見にくくくなるのはよくないので業務中は気をつけます。それにしても改めて考えてみると、この読点の量は異常だと思う。大学の時に書いていた日記を読み返してみるとどうだろうか。多い気もするし少ない気もする。でも、今とはだいぶ文体が違っていて、痛く恥ずかしい気持ちになった。↓引用。こんな感じでした。

朝起きたら、怠かった。首の裏の筋肉に針金でも入ってるのでは、と疑う程に凝っていて背中全体がムズ痒い感じがした。さらに喉も感想した感じがあるので、風邪を引いたのかもしれない。タオルだけを腹に乗せて、カズオイシグロの「私を離さないで」を読み、眠り、読んだ。そんなナマケモノ生活を極めていた。最近エアコンをつけっぱなしで、今月の電気代がどうなるのか怪しい。ふとエアコンによる空気乾燥のことを思い出す。この気だるさはエアコンのせいではないか、と疑って見上げてみると、何やら現代技術を祀る神棚のようにも見えてきて「この快適な空間の提供ありがとうございます」と手をすり合わせてから、当初の疑問など忘れてまた「私を離さないで」に戻る。

この頃の文章は一日を怠惰かつ妙に面白く切り取ろうという気概を感じる。ぼくはこのときエアコンを神棚とは思わなかったけれど、神棚だと思った方が面白と感じてそう書いていた気がする。子どもが宿題を忘れて先生に怒られている時の言い訳みたいに、切迫している状況だと想像力が働くものです。ぼくはずっと何かに焦っていたんだと思う。ポップに書いているけれど、どこかでポップではない。