20210623

去年、小説を書きたいとか言ったけれど、全く書けん。ほんと、諦めたわけではないけれど、まじで、書けなくて困っている。少しずつ設定を作っていったはずだったけれど、まだまだ足りていないんじゃないかな。

ぼくは今まで小説を書くとき、自分の近々の問題に対して、小説の登場人物を介して解決させることによって、自分を救おうとしていたのだということがだんだん分かってきた。

ずっと前にぼくはアンドロイドの話が書きたいと言って、設定とかを色々考えていた。一般にアンドロイドの登場する物語というと、「アンドロイドは心を持つか?」とか、そういう問題提起をされるのだけれど、ぼくはそれにあんまり共感できない。別に心なんて持っても持たなくてもどっちでもいい。そもそも「アンドロイドは心を持つか?」という問い自体が人間を前提に考えすぎていると思う。人が心って言うとき、それは笑ったり、怒ったり、人間的な感情みたいなものについて言いたいことが多いと思う。でもさ、機械の身体や、人工的に作られた身体みたいな、人間とは違うフォーマットの物体に対してどうして人間と同じ精神を与えようとするのだろうか。わからない。もしかすると、わけわからなものになるのが怖いのかもしれない。そのために、理解可能な範囲であって欲しいねと思っているのだと思います。でも、それは少々アンドロイドが可哀想かもしれない。ぼくの直感から言って、アンドロイドがアンドロイドの好きなように進んでいって、そこに人間的な心みたいなものが芽生えると考えるのはあんまり現実的ではない。なので、心とかほんとどうでもいいので、アンドロイドはアンドロイドらしく人間にとってわけのわからんものになっていって欲しいです。ということを、ぼくは書こうと思った。自分のことロボットみたいだと思ってた時期がありますので、そういう意味でアンドロイドと重なるよねってことをしたかったんだろうな。ぼくはぼくのままでよかったと言ってあげたかったんだ。だから、「さよなら人類の日」というタイトルを考えていた。人間なんてやめちまっていいです。

でも、アンドロイドがアンドロイドらしくするってなんだったろうと思うとわかりません。ぼくは、めっちゃ人間に似せて作られてしまったアンドロイド、というか人造人間を想定していたけれど、そこから人間を辞めてくのはどうしたらよかったかな? そのへんの設定が詰められていないのが書けない原因です。ぼくがぼくらしくやっていくこと、これがきっとぼくの近々の問題なのであるけれど、その解が分かってないんだろうな。ということに気づいた。