20211028

朝起きたら、Facebookの社名がMetaに変わっていた。メタバースがインターネットの次に来るんだ、とザッカーバーグが言っていた。がんばれMetaと思った。巨大資本万歳。

久しぶりに次の時代の技術を見て、興奮してる。どんなサービスになるのかまだわからないけれど、たぶんメタが革新的なのは、オンラインにアバターを持てることでも、ゲームを一緒に楽しめることでもなく、単純にインターネットにおけるコミュニケーションの表現力を上げてしまったことだと思う。VRで、話す声に手振りや身振りをつけれる、ボードに文字を書きながら会話できる、あと表情がついたら最高です。

メタバース後においては、逆にインターネットが地域をもっていることに大きな価値が生まれるのではないか。現実から失われていった、家族や、ご近所さんや、会社といった磁場が、インターネット上に再構築される流れだと思う。

SNSでは、文字や写真や動画に対する共感でしか繋がれなかった。共感というコミュニケーションは、自分の思想を強化していく傾向があったため、共感できない他者は排斥するしかない。なので分断の時代なんて言われてた。でも、メタバース的な空間においては、文字列だけでも、写真だけでも、動画だけでもない他者は、そもそも共感してスキを送るだけでコミュニケーションをとることなんて不可能になる。だから、他者の分からない部分は、無視するのではなく、分からないまま受け入れるしかなくなるのではないか。似てる人も、全く異なる人も、自分と同じとなんか思えない。そしたら、思想や趣味によってインターネットが地域に分割されることは、なんら不健全なことではなくなると思う。分断の解消は、おそらく興味がない情報にも興味を持つようにしよう、なんてことなんかではなかった。そして、そのとき初めてのインターネットが持ってしまった地域性が機能しはじめるのだと思う。

思想や、趣味によって形成された地域のもった世界観と、その空間に発生しうる交流に価値が生まれるようになる。おそらくそれは、youtubeみたいな「個人」がコンテンツにはならなくなる。映像ではなく、演劇的なコンテンツが主流になる。これをVRというデジタルによってデータとして保存可能、後々再生可能にできるところに次のコンテンツ消費の形があるのだと予想します。僕はこういう、インターネット上に地域を立ち上げていくような流れを「インターネットのローカル化」と呼んでいる。実際にそうなるかはわからない。